飛び飛び日記Ⅱ

雑食性老人のあれこれありのブログです。「アート」「天文」「散歩で発見」「生活上の出来事」など、いろいろ書いています。  水・日曜日と祝日は休みです。おいで下さりありがとうございます。ついでにHP「アツガーリンのページ」へも、、、。

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何か描いていないと

毎日朝から何か描いているのが画家だと思っていた。それは原則的にはそうであろう。一種の中毒のようなものである。きっと人並みはずれた自我を持ちその表出力がつよいのであろう。こういっては身も蓋もないが、一般に芸術なんて尊敬的に使われるが、アリストテレスの「カタルシス」説はそれほど芸術の本質から離れた説とは思えない。
 自我の表出だから芸術家はおろかアマの趣味で描かれた絵や音楽でも、けなされると擦り傷にさわられたようにひりひりする。表面に出さなくとも内心で傷がうずいている。遠い親戚(シンセキにも当たらないくらい遠い、)に坂崎乙郎という方がいて美術評論家でも有名(早稲田の美学の先生が本業)だそうだった。この先生がM美大に来たときの様子は、普段ひとかどで学生に望んでいた教師連中が自分の絵のコメントを貰いたくて大変だったと、画家Y君に聞いた。Y君の話で私は、どうでもいいその遠い親戚の名前を思い出したくらいで、絵描きにとっては大変な人でも大方の普通人にはどうでもいいのである。そのどうでもいいのが権威を持つのは芸術家にとっては、その作品、出来映えが自我に堅く結びついたものであるからだろう。素人でも作品を誉められると舞い上がってしまうのも逆の同現象であろう。
 精神分析学の方で「自我近親」「自我疎遠」という言葉がある。好きな絵、音楽、惹き付けられる作品は多分受け手の自我に近親・共鳴するものがあるからだろう。共鳴度の大きいのを感動という。多くの人に感動を与えられる作品を生み出す自我は、多分自我のあり方と表出方法が狭隘なものではないのでなかろうか。
 
 で、朝から描いていても「技術」は高まりこそすれ、中毒患者の習いでしかないのかもしれない。その点が科学や一般の
学問と芸術の在り方は違う。
 
さてご託を並べたが、私もこの歳になって何か描かないとものたらなくなって来た。軽い中毒患者になってきた。ただ完成しないうちの発表は、先の自我・自尊心でなかなか出来ない。
 私は余りプライバシーとかいうのを気にしない。偉い人で色々関係する人は利害関係も多いだろうからプライバシーを気にされるのは判るが、でない人まで気にするのは「羞恥心」(日本人に多い)で、度を超すと閉鎖社会を造るだけと思っている。「人間、みなポチポチや」の作者小田実の言を基本的に正しいと思っている。
で、未完だろうが恥ずかしかろうが発表しないと「アート」ジャンルが増えないので、今回は自我の表出をのせる。
 F6で所要時間1時間。、、、、長々と書きすぎました。終わりまで読んで下さった方ありがとうございます。
描き始めシクラメン
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